まよいヘル

私は彼女に勧められて化物語シリーズを見ようと思った。なかなかレンタルには行けないし.....と思っていたところに今付き合ってる彼からNetflixdアニメストアを家族登録しようと言われた。正直最初は戸惑った。「迷惑かけちゃ悪い」その気持ちが私は常に最前線にあった。まだ会って日も浅かった。そういう人には特に迷惑かけたら悪いの気持ちが強く出る。これには深いわけがある。

幼少期から私は重度のADHD診断をもらっていた。なぜなら幼稚園で全くみんなと馴染めず1人で音楽の時間にLEGOを始めたり帰りの会の時に貰えるお菓子をとって食べたり自分の気に食わないことはとことんやらなかったり集中しすぎてその時間が終わっても辞めなかったりと、ADHDの症状がまるっきり出ていた。いつも帰りの会が終わったあと帰りのバスが出るのだが私の祖母は呼び出されて保育の先生方から祖母が文句を言われていた。その度に頭を下げる祖母の横顔は忘れられない。そして私に向けられた冷たい先生達の目線も忘れない。勿論帰りのバスには時間が合わないから乗れない。帰りのバスのお金は毎月払っているのにだ。私のところは乗った回数ではなく毎日乗る前提の話で毎月お金を渡している。かなり高額だ。先生達はそれを分かってやっていたんだろうなと今振り返るとそう思う。

帰りの自転車後ろの席で毎日祖母から罵声を浴びせられた。「なんでみんなと一緒にしないの」「なんでお前はそんなに馬鹿なの」「同じ血が流れてると思いたくない」「私の苦労も知らないで」「お前なんか生まれてこなければよかったのに」「お前の母親はお前を捨てて知らない男と遊んで歩いてるよ。別に払わなくてもいいお前の食費や学費バス代全部無駄金じゃねーか」「金食い虫」「醜い」「こんな惨めな思いをさせられるのはもうたくさん」「明日じいじと話し合ってお前をどこに捨てるか決める」

そんな内容なことを毎日繰り返していた。どこに捨てるか決めるというものの祖母はヒステリックのため実行はなかなかしなかった。怒りが故に言ってしまっているのだ。

私はその時から人に迷惑をかけてしまうとこんなに怒られてしまうんだなととても恐怖を感じていた。だが、何故怒られているかわからなかった。何が悪かったのか誰も説明してくれなかった。「みんなと同じことしましょうね〜」と先生に促されても「なんでしなくちゃいけないの?」が頭に沢山浮かんだのを覚えている。ただその頃から私は人と違うことに気がついた。

小学生に上がると共に「それ」は悪化して行った。宿題はできない。ノートを開いても別のことをしている。提出物は机の中の奥でぐちゃぐちゃになっていた。連絡帳はみんなのスピードについていけずいつもそそくさと黒板消しで消された。宿題はやらないだけだろwと思うのも無理はない。ちがうのだ。「できない」のだ。やりたくないものに関しては全て後回しにしてしまう。やりたいことに集中して学校が終わりみんなが宿題をしているときに私は図鑑をずっと眺め外に行き同じ虫を探したりしていた。興味がわかないものは「できなかった」。そういう表現が1番正しいと思う。

大事な提出物。保護者に渡さなければいけないもの。私は祖母に渡さなければいけないものは机の奥でぐちゃぐちゃになっており、毎回のように学校から提出期限が切れてるのにまだ提出されてませんの電話が鳴り止まなかった。祖母はまたそれにヒステリックになり私に罵声を浴びせた。「お前のせいで何度頭を下げればいいんだ」「この恥さらし」「しね!」とまで言われていた。言葉の使い方は歳を上がるにつれてレベルが上がって行った。手も出るようになっていた。

小三の時家にひとりで留守番をしていると廊下からなにか黒いモヤが私を見ていた。ずーっとだ。祖母に訴えると「はぁ」と溜息をつきどこかに電話していた。よく聞き取れなかったが多分病院にカウンセリングを要求していたのだと思う。祖母の「はぁ」はまた金がかかるのかの「はぁ」だったと思う。私は前にも扁桃腺を撮る手術で何十万も祖父母に負担をかけていた。カウンセリングも馬鹿にならない値段らしい。毎週1回学校を早退してカウンセリングに向かった。それがとてもとても恥ずかしかった。「なんで○○帰んの?」って聞かれても頭がおかしいから病院に行くんだと祖母に言われた言葉を言うのは恥ずかしいと、思う私はちゃんと居た。なんとなく促しいつも早退していた。最初の頃はペーパーテストや質問されたことに答えていく簡単なものだった。そのあとは心を休めるために遊んだり怖いモヤの話をそれは偽物だと教えてくれた。でも見えるのだから嘘じゃなかった。私の中では。

ツイートを拝見していただければわかるが私は幼少期から本を沢山読まされた。ADHDの治療法の一環として。そのため図書室が大好きだった。その中でもとりわけ好きなジャンルは「オカルトホラー」物だった。学校の怪談という本をご存知の方は少なくないと思う。それが大好きだった。怪談レストランや学校の花子さんたくさん読みあさった。紫ババアが怖くて家のトイレの壁に薄く鉛筆で「赤いべべ青いべべどちらが欲しい?と聞かれたらむらさきだ!」と答えると書いたりしてた。今でも残っている。

祖母はそれをわたしが想像化してしまっているのだと取り上げた。とても悲しかった。本を読めと言われた相手から読む本を指定されたのだ。勿論興味のわかないものを読むのはとても苦労した。ただ読まないと「金の無駄だ」とヒステリックをおこし罵倒してくる。だから無理にでも読んだ。本とはとてもつまらなく退屈なのだと思ってしまった。

 

小二の半年についてはまた別の機会に、書かせて頂くとしよう。

 

そして本題に戻るがNetflixdアニメストアの登録を私は渋々受け入れた。お金を負担するとまで行ったのに彼はそんなことはしなくていいといった。とても不思議だった。私のためにお金を使ってくれるのか?と。

そこでNetflix化物語シリーズがあるのを見つけた。1話を見た時私の中の好奇心がくすぶられた。ぶっ通しで見てたのを覚えてる。たまに寝落ちしてどこから見たのかわからなくなったこともあったりもした。ただ途中までしかなかった。そこでdアニメストアで検索してみた.....なんと続きがあったのだ。もう嬉し涙が止まらなかった。ただ、憑物語終物語がなかった。残念だなと思い彼と話してレンタルしようかと話を進めた。

ところが1ヶ月後見れるようになったのだ。dアニメストアお前は優秀だ。と画面を撫でたことを覚えている。

最後まで見終わって、思うことは勧められた人に感想を離せないのはこんなにも苦しく、くすぶったい事なのか.....私は誰かとこの気持ちを共有したい。でも進められた人以外に共有できるわけが無い。

最近勧められていたharmonyという映画を見た。まるで私と彼女を見ているようだった。

 

「私と一緒に死ぬ気ある?」

 

印象的なシーンだ。同じような経験をしている。

amazarashiも彼女から進められた。あいみょんも。

進めておいて感想を聞かずに行ってしまうなんてずるいじゃァないか。

私が死んだらたっぷりと聞いてもらうことにしよう。